目撃場所/工事現場


はね飛ばされ、はさまれ。はね飛ばされた後、はさまれるのである。こんな悲劇があるだろうか。踏んだり蹴ったりとはこのことである。「踏んだり蹴ったり、という言い方はおかしいのではないか。『踏まれたり蹴られたり』だろう」と昔誰かが言っていたような気がするが、本筋から逸れるので措いておく。問題は、災難は連続して降りかかる場合がある、ということである。例えば私の経験で言えば、昔、電子レンジで温めたゆで卵が口元で爆発したことがある。忘れもしない、高校3年の時である。無知な私は母が作り置きしたと思われる冷えたゆで卵を、電子レンジで温めて食べようとしたのだった。二つを温め、そのうちの一つにかぶりついた。と、その瞬間。口から鼻へ抜けるような衝撃。目の前にひろがる白と黄色の卵花火。しばらく呆然としていた私は、ふともう一つのゆで卵を見た。こっちも爆発するかもしれない。「捨てよう」と手を伸ばし卵にさわった瞬間、またも卵花火が! ・・・なぜすぐに手を伸ばしたのだ私。いったん距離と時間を置き、卵が冷えるのを待てばよかったんじゃないのか。今でも目を閉じると、スローモーションではじけていく白と黄色のカケラたちが浮かんでくる。災難に見舞われた時、慌てふためいて平常心を失うとさらなる災難に見舞われる可能性があるということを、私はこの時に学んだのである。このピクトさんは、そんな大切な教えを体を張って我々に示してくれている。


災いは最小限にくいとめられるなら、幸運とみなすべきだ。
マキャベリ