1983年/1993年のピクティスト
私がピクトさんの存在に気づいたのは2001年のことだった。
このホームページをつくったのが2003年である。 自分の中では、先駆者だと思っていた。 しかし、ピクトさんに注目していた人間が20年以上前に すでに存在していたことを示す画期的な資料が、 先日発見されたのである。 以下に、その文章を全文引用する。 1983年に発行されたある雑誌の 「読者からの投稿コーナー」に掲載されていたものである。 投稿者のペンネームは「ピクトさん大好き少年」。 世田谷区在住の高校生、ということしか分かっていない。 歴史に埋もれていたこの文献は、 ピクトさん研究史に大きな影響を与えるだろう。 --引用-- こにゃにゃちわ〜!ピクトさん大好き少年どえーっす。イェイ。キミ、ピクトさんって知ってるかな?え、知らない?おっくれてるーう。ほら、街で見たことあるだろう?「転倒注意」とか、「頭上注意」とか、ああいうやつ。あそこでヒドイ目に遭ってる人を、ピクトさんって言うんだ。ピクトさんを見てキミは「オモシロイ」と思えるかどうか?ま、感性のモンダイになっちゃうけど、これが分からなきゃ、イモかもね。 おっと、バカにするつもりはないんだ。めんごめんご!こんなこと言ってるボクも、実はつい最近ピクトさんのことを知ったばかり。でも見たシュンカン、すぐに夢中になったってワケ。ピクトさんは今、赤丸急上昇中。けっこーかわゆい!って言う女子大生もいたりして、目が離せない。今度パルコの広告にもピクトさんが使われるとか使われないとか。 もち、ボクもさっそくピクトさんの収集を始めたよ。でもこの前、ピクトさんのことをクラスメイトに教えたんだけど、「ワッカンナーイ」の一言で会話が終わっちゃった・・・説明するのがなかなか難しいんダナァ。だからボク、ピクトさんの魅力をみんなに知ってもらうために、手作りの会報をつくることにしたんだ。「ピクトさん☆つ〜しん」っていう名前にしたんだけどね。完成したら、ぜひみんなにも読んでもらいたいナ。評判が良かったら愛好会をつくろうと思ってるんで、そこんとこ、ヨロシク。 じゃ、またね。バイビー! (ピクトさん大好き少年/世田谷区 高校1年) --引用ここまで-- このような先人がいたことを、 我々はどう受け止めればよいのだろうか。 見なかったことにしたほうがいいのか。 いや、そういうわけにはいかない。 我々21世紀を生きるピクティストは、 この偉大なる先人に敬意を表し、 彼の血を引き継ぐ覚悟を持たねばならないだろう。 「ピクトさん大好き少年」氏のその後の消息は知れないが、 この雑誌の発売からちょうど10年後の1993年に、 「ひょっとして彼ではないか」と思われる人物が現れる。 今度は読者ではなく、雑誌ライターとして。 1993年、つまり今から13年前に発行された ある雑誌のコラムに、ピクトさんが登場するのだ。 --引用-- 渋谷系マスト図鑑 第8回 今、「ピクトさん」がキている。といっても、まだ知らない読者がほとんどだろうね。ピクトさんっていうのは「転倒注意」とか「頭上注意」とか、ああいう看板で酷い目に遭っている人のこと。あれ、よく見るとインパク知なアイテムなんだ。少し前から、渋谷界隈でじわじわと人気が出ているみたい。筆者は80年代から注目してたんだけど(実は高校生の頃、ピクトさんを啓蒙するためのフリーペーパーをつくってた)、今のキッズには超新鮮だったらしいね。ピクトさんの、誰だか分からない超ファジーな感じがウケてるのかな。それとも、あの超痛々しい姿に惹かれるのかな。とにかく要チェキだ。たぶん今年中にピクトさんグッズがマストアイテムになるはず。激マスト化するんじゃないかな。今のうちに速攻チェックしたほうがいいかもね。君も街に出たら、ピクトさんに注目してみよう。(P) --引用ここまで-- この(P)氏が「ピクトさん大好き少年」氏と 同一人物であろうとなかろうと、この際どうでもいい。 80年代、90年代と、それぞれの時代の中を、 確かにピクティストが生きていたという事実こそが重要なのだ。 そしてこれらの文章を読んで我々が感じる、 なんとも言えないむず痒さも忘れてはいけない。 ここから目を背けてはいけない。 我々が書いている2006年式のテキストも、 やがてはこうして振り返られるようになるのだ。 今私は、ピクティストの歴史をさらに過去に遡って調べている。 70年代、60年代、いや、もっと昔から ピクティストは存在していたかもしれない。 大正時代、はたまた明治時代・・・ ピクティストがいなかったという証拠はない。 今、「和漢三才図会」や「守貞漫稿」などの 江戸時代の文献にも当たっているところである。 新しい証拠が見つかったら、またこの場で報告したい。 ※念のために言っておきますが、これはすべて創作です。 |